チャドで働く国連機関契約職員の日記

チャドの田舎で国連機関の期間契約職員として働くことになった日本人の日記です。ブログでの記述は個人の見解であって、所属組織を代表するものではありません

アトリエ ~ 企画立ち上がり編(1)

今回から3回シリーズで、僕が先日行った仕事「アトリエ」について紹介していこうと思う。フランス語圏国連機関で働くならば、避けて通れない「アトリエ」について、雰囲気だけでも伝えられればと思う。

とある木曜日の夕方、就業時間も過ぎた後、我が事務所の所長室に呼ばれる。所長室では、とある国連機関Aの所長とその部下とが訪問してきている。どうやら、支援活動で収集・利用するデータの信頼性についての不満らしい。

実はこれは、僕が当地に入る前から聞かされていた話。人道支援活動は、多くの場合、政府統計などが全くあてにならない地域が多く、現地で活動する組織が収集する情報に頼らざるを得ない。当地では、ある国連機関Bが収集している情報が、一番網羅性が高いので、それを使って計画立案を行っている。

ところが、この国連機関Bのデータをそのまま使うと、当地域の人口に関する政府統計よりも多い人数が、当地域内で国内避難民として移動していることになり、明らかに矛盾している、というのが国連機関Aの主張。国連機関Bのデータ収集手法は、僕から見ると、まあそんなもんだなあという標本調査&クロスチェックを組み合わせたもの。逆に政府統計のデータは相当怪しいもので、2009年の国勢調査(←まずこれの精度も怪しい)に、全国一律の人口増加率を当てはめて、2021年の人口を推計している。発射台となる数字がおかしく、その後の増加率も怪しく、それを10年以上にわたって単純に当てはめている。したがって、政府統計が正しいという全体で議論すること自体がナンセンスでもあるのだけれど、計画立案をするうえで、存在するデータ、特に協力しながらやっていかなければいけない政府のデータを無視するわけにはいかない。データ間で矛盾が存在するなら、それは何かしらの説明が求められる。

そしてアンラッキーなことに、政府統計および国連機関Bのデータを含めて、何かしらの筋の通った説明をするのが、僕が管轄するセクターの責任であり、さらにそのセクターのコーディネーターである僕の責任、ということに、形式上はなっている。ということで、データユーザーである国連機関Aは、データの作成責任を持つ我が組織(の僕)にクレームをつけに来た、とも言える。

ただし前述の通り、そもそも政府統計も怪しいし、ほかにデータがない以上、Best guessで計画立案をするのが現実的。正確なデータをとる方法が(短期的に)あるのであれば、その方法を実施するけれども、そんな方法は無い。なので、短期的には、今あるBest guessでのデータを活用して計画立案をしながら、長期的には、きちんとカウントしていくというのが基本的な方針にならざるを得ないし、実際にそうやっている。きちんとカウントする活動も、少しずつではあるけれど進んでる。

なので、こちらとして現状のアプローチ以上にやれることは、基本的には無い。けれどもデータはないのは困る、どうにかしろ、というのが国連機関Aとしての言い分。これが民間企業なら話はシンプルで、「調査してほしいというんですね。わかりました。納期とお見積もりはこちらになります。え、そんなお金は払えない?納期も受け入れられない?じゃあ、無理ですね。他をあたってください」ということになる。ただしここは国連機関やNGOが一緒になって、各団体が定められた役割分担にしたがって活動している。お金があろうがなかろうが、役割は果たさないといけない、もしくは果たそうとしているという十分なアピールが必要になる。

とはいえ現実的に解決策はない、ということで議論は紛糾し、あっちこっちに話が飛ぶ。1時間ほどたったところで、我が事務所の所長が、「どうやって正確なデータを出せるか、アトリエをやってみんなで考えよう」と言い出し、僕に対して「とりあえず、アトリエやってみて」と投げてきた。

ここで僕の顔は青ざめる。

アトリエ、というのはフランス語の「Atelier」のことで、英語・日本語で言うと、ワークショップ。要は、みんなで集まって、一緒になって話し合って、結論を出そう、というもの。

僕や前任、関係機関の担当者を含めた、現場にいるそれなりの人間が数年にわたって頭をひねっても、解決策が出ていない。こういう時は、同じような思考・アプローチの延長線上には「解がない」ことが多い。だから、正確なデータをどう取るか/どう出すか、という話よりも、既存データをどう解釈して整合性のある数字を推計するか、とか、データがないという前提で、どのように計画立案するか、というようなアプローチの転換のほうが功を奏する。でもこの所長会談での結論は、正確なデータをとるために、みんなで話し合おう、というもので、クレームを言いに来た国連機関Aの所長も、納得している模様。

ちなみに、国連機関がそうなのか、フランス語圏がそうなのか、チャド特有なのかはわからないけれど、とにかく何かと、アトリエが開催される。次年度の計画を立案するためにアトリエを開催して、関係者が集まって問題分析をするとか、国内避難民の権利保護をどのように行うのか、アトリエを開催してみんなで考えましょう、とか。

アトリエでもワークショップでもいいけれど、多くの人が集まって、それなりに意味がある成果物を、それなりの短期間で導き出すには、

・参加者が厳選されて

・参加者が事前に当該論点について十分に検討して自分なりのロジックと結論を持ち込んで

・当日はそれを共有しつつ

・でも自分の意見や利益を度外視して、全体最適のために建設的な意見出しと構造化をしていく

ということが一般論としては必要である。

でも大体のケースだと、

・とりあえず関係者っぽい人を多く呼び

・呼ばれたほうは、当日まで実際にはほとんど考えず

・その場その場での思い付き and/or自身や組織の立場・意見を表明する

だけである。

ガス抜きをする、とりあえず何かをやった感を出す、という意味はあるかもしれないけれど、困難な論点について、解決策を出すというのとはだいぶかけ離れた形になる。結果として、原因と問題と結論、事実と推測と希望的観測とがごちゃ混ぜになった、よくわからないテキストがアウトプットとして作成される、それが、アトリエの大半。

繰り返しになるけれども、現時点でできることは、短期的には、使えるデータでどうにかしつつ、長期的には、すでに始まっている比較的正確なデータ収集を続けて完成を目指す、ということでしかない。だから、今誰が話をしても、何も変わらない。したがってアトリエをやる意味が分からない、と繰り返したけれども、とりあえずアトリエをやってみよう、の一点張りである。

僕は強硬に反対したけれども、上長の職務命令とあってはそれに従わないわけにもいかないので、結局実施することになった。日付は、2週間後の月曜日。営業日で言うと、7営業日後の開催。

アトリエが、「とりあえず」で片づけられるほど楽ならばいいけれども、残念ながら、少なくとも僕にとっては全くそうではない。アトリエの開催準備として、

・企画書のドラフト

・企画書について、上司の承認

・出席者へのアポ取り、出席およびプレゼンの承諾

・遠方からの参加者のロジ手配

・場所確保

・当日の飲食の確保

・招待状の作成と配布

等々の作業をこなさないといけない。この準備を、他の仕事もしながら、6営業日でこなす。僕にはチームがあるので、当日は他のチームメンバーも協力できるけれど、他のチームメンバーも通常業務で逼迫しているので、アトリエの準備を手伝ってくれとは言えない。

今回は、行政機関を含めて広く参加してもらって、現状の問題点を理解してもらおう、というさらなる目的が追加されたので、もろもろの準備がその分、大幅に拡大した。

そして僕にとっては、初めてのアトリエ開催であるというのもなかなかにハードルが高い。果たして、うまくいくのか。

次回に続く。

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