チャドで働く国連機関契約職員の日記

チャドの田舎で国連機関の期間契約職員として働くことになった日本人の日記です。ブログでの記述は個人の見解であって、所属組織を代表するものではありません

2023/8/22 12km心拍数150~160固定@ダカール

昨日は、ダッシュのような短距離で終わってしまった。自分の弱点は長距離を走るスタミナなので、気を取り直して今日はレースペースで少し長めの距離を走ることに。

ラソンではターゲット心拍数を150~160程度にすることを想定しているので、その心拍数でできるだけ楽に速く走れる方法を模索しながら走る。脚からは引き続き脱力を意識しつつも、いろいろ試した結果、腹筋に少し力を入れて姿勢をきちんと維持して、骨盤の回旋で上半身と骨盤を回転させて、脚と腕は鞭のように振り回す。下半身は、後ろにけりだすときに、けりだす脚側の腸腰筋とおしり、太ももの裏を伸ばして、身体が沈まないようにする、ということを意識すると、同じ心拍数でも早くなる。

結果的には、ペースが6分半弱程度くらいで安定する。脚の状態とか実力を考えると、こんなものかなという気もする。あとは、給水のタイミングとして、これまでの反省を踏まえて、3キロごとに水筒で、3口飲むようにすることに。すると、そのたびに減速して脚が休むせいか、最後までだいぶ楽に走れる。ただそれでも、走り始めと走った後で、500mlの水を飲んだはずなのに、体重が1.2キロ減っている。単純計算、1時間15分、12キロで汗を1.7リットルかいていることになる。これを完全に補給するには、30分おきに0.7リットルの水を飲まないといけないことになる。15分おきに350ml。だいぶ多すぎる気がするけれど、そんなものなのだろうか。

ペース

あとは、ケイデンスが185程度なので、もう少し体を大きく使った方がよさそう。そのためにも、蹴る方の脚の、腸腰筋を伸ばすこと、おしりの筋肉を使って反発を受けてけりだすことが必要か。

国連人道支援分野でのイノベーションの難しさ

国連の人道支援分野には、山ほどイノベーションの機会がある。イノベーションと言わなくても、業務効率化のネタには事欠かない。要は無駄が多いということなのだけれど、残念ながらそれが短期的に解消されることはなさそうというのが、現場での実感。書いてみたら当たり前だということばかりになってしまったのだけれど、備忘録として残しておきたいと思う。

1.ギリギリもしくは不足するリソース
公務員は一般的に、余裕のない人的リソース、資金リソースで運営される。民間企業とは違って、法律に基づいて業務内容が明確に決まり、その業務内容をこなすためのリソースが計算される。さらに、人道支援を行う国連機関に限って言えば、おそらくどの国連機関も支援対象を十分にカバーするだけの資金を調達できていないことが普通なので、基本的には足りていない。そのため、現場レベルでは、常に業務運営はいっぱいいっぱい。
通常の、定められた事業を定められた方法で行うだけでもリソースが足りない中で、イノベーションとまでいかなくても、何かを変えようとすると、それを検討するための追加的なリソースが必要だし、実行をする段階でも(仮にその変化が全体として業務運営を効率化するものであっても)一時的に業務効率は下がる。そんなことをする余裕は、少なくとも現場にはないし、「余計な仕事を増やすな」ということになる。

2.小さいアップサイドと大きいダウンサイド
上述した、決まったことを決まった通りやるという前提を別の側面からとらえると、今までの方法で、今までやっていたことをやれば、基本的にはそれで良し、となる。より効率的に、よりナイスな結果を得られればそれは評価されるけれど、仮にそれで大幅に支援対象者が増やせるとしても、公務員の評価(昇進、異動)はそれで大きく変わるわけではない。(今まで10万人支援できたのが20万人支援できるようになっても、給与も待遇も基本的には変わらない)。なので個人的に見れば、イノベーションで汗をかくことのアップサイドは小さい。
他方で、うまくいかなければ、通常業務がうまくいかなくなるから、決められたことすらできなくなるので、大きな失敗になる。仮にうまくいくとしても、そのために通常業務以上にチーム、パートナーを動かすことになるので、通常業務だけでもいっぱいいっぱいな彼らからは中々協力が得られないし、協力が得られても、気を付けないと、追加的ストレスでつぶすことになる。
こういった、小さいアップサイド、大きいダウンサイドという構造はみんな分かっているので、なかなか協力を得ずらい。表面上で反対しなくても、何かをお願いしても動かない、プッシュしても、他の作業で忙しいから、と断られる(そして実際問題、みんな他の仕事でいっぱいいっぱいなのだ)

3.経験が少ない
1,2のような背景から、公的部門で働く人々は一般論として、民間部門と比べてイノベーションとか業務効率化を主導するという経験が少ない。そうすると、それをうまく主導する人も、サポートする人もいない。そうすると、仮にアイデアとしてはよろしくても、うまくいかなくなる。うまくいかないから、上記のダウンサイドがさらに強調されて、そういったアイデア自体が出てこなくなって、さらに、イノベーションを生むような土壌から離れていく、という悪循環につながる。


4.圧力の無さ
民間企業であれば、非効率な業務は高コスト体質に結びついて市場から退場を余儀なくされるし、業務を効率化すれば利益増によって、その利益を使った事業拡大への投資、社員、株主への還元というわかりやすいつながりもあるから、一定の業務効率化への圧力がかかっている。
国連機関でも、資金を出す加盟国(ドナー)は自国資金が効率的に使われていることを求めるから、そういう意味では、株主からの圧力に近いものがある。でも、人道支援機関の業務の効率性を評価したり、改善案を出すというのは、当然ながら現場のオペレーションを知らないとできないけれど、普通はそういうところまでは見切れない。また人道支援機関側も、仮に高コスト体質でも、民間企業と比べれば、それによって組織がつぶれるというようなことは起きづらいので、外部からも内部においても、効率化を進めようという圧力が小さい。

それじゃあ、どうすればいいのか。

1.イノベーション、業務効率化をKPIとする部署を設ける
この部署では現在の業務のリソース、プロセス、アウトップットを数値化したうえで、それを改善するということを、組織全体に対するコミットメントとして実行する。こういう部署は既にあるにはあるけれど、「いいアイデアがあったら、それを出してね」という感じに近い。本来はこの部署が(必要に応じて外部のリソースも使って)、一定の優先順位を付けたうえで、オペレーションの洗い出し、数値化、改善を推し進めるべき。

2.人事評価にイノベーション、業務効率化を組み込む
これは1に近いけれど、どちらかというと現場レベルの話。現場で常にオペレーションのインプットとアウトプットを明確にして、それをどれだけ改善できたか、というのを人事評価に組み込むようにする。上述の1の組織は、この実行を支援したり、部分最適を避けるための調整をしたりする。

ただこれらを実行するには、結局は組織のマネジメントレベルでのコミットメントが必要になるけど、組織のマネジメントレベルにこうしたことをするというモチベーション and/or ストレスがかかりづらい現状だとなかなか難しいだろうとは思う。なので、

3.ドナーからの拠出金額の決定ににイノベーション、業務効率化を組み込む
という形で、外圧を上げるという方法が考えられる。これはそもそもドナー側にそうした意識がないと難しいし、国連機関側からの巧妙な「できない理由」を看破するだけの知見とコミットが必要になる。いきなりイノベーション、業務効率化を拠出金額のクライテリアに組み込むといっても無理だろうから、まずは現状業務のオペレーションの洗い出し、それにかかるコストの算出をすること、などを第一段階として、拠出金を出す条件にするのがいいと思う。

 

国連機関の僻地における休日の過ごし方

国連機関職員として現場に入っていると、緊急性が高いこともあって、業務において定時という概念はあってないようなものだし、平日・休日の区別もないことが頻繁にある。

とはいえ、そういう中でも土日は平日と比べれば時間ができることが多い(少なくとも、緊急の用事がない限り、打ち合わせが入ることは少ない)。なので、平日とは違う時間の使い方ができる。

休日に何ができるかは、その現場の状況による。首都であれば、アフリカであっても一通りのものはそろっているし、地方都市であれば、首都ほどではないにせよ、市場に買い物に行くというようなことができるし、休日にまとめて買い出しをすることがルーティンにもなる。

そして僕のように、治安状況のよろしくない場所にいる場合もある。僕のいるところは、基本的には与えられた居住区の外には出ることは(車に乗らなければ)許されていないし、外に出て村にいっても、何があるというわけでもない。ということで、基本的には、休日は居住区に閉じこもることになる。

そうした中で、具体的に閉じこもって何をしているのかというのを紹介したいと思う。基本的に居場所も与えられている環境もみんな同じなので、以下の例は僕のケースだけれど、他の人も大なり小なり似たものになると思う。

1.仕事

 残念ながら、というべきか、平日にやるべきことは大抵終わりきらないので、休日に持ち込む。というか、平日は打ち合わせやら緊急の要件などがどうしても入ってくるので、休日にその分が回ってくる。打ち合わせが入ってこないし、せっつかれることも休日は基本的にはないので、じっくりと思案して取り組みたい仕事は休日に回ることが多い。たまに、内部の打ち合わせを休日に入れてくる同僚・上司がいるけれど、大いに不評なので、このブログの読者におかれてはぜひ避けていただきたい。

2.勉強・研修

 国連機関は研修がしっかりしていて、今は特に、オンラインで学べる研修が多い。そして、人事評価においても自己啓発活動は加味されるし、将来的につきたいポジションのために必要となる研修も多いので、必然的に、やらざるを得ない。そして、平日にそういう時間はなかなか取れないので、休日にやることになる。ちなみに、国連で仕事をしていくうえで語学は継続的に研鑽をすることが推奨されているので、僕も直接的に仕事に関連する研修以外に、スカイプでのフランス語の講座をとっている。自己紹介で、チャドに住んでます、というと、「え?何?」という反応が多い。チャド、という言葉が聞こえたとしても、日本人が住んでいる場所としておよそあり得ないので、脳が反応しないのだと思う。

3.YouTube、ネットサーフィン等々

 21世紀バンザイ、と叫びたくなるのがこれ。外界と繋がれる唯一の窓口といった感じ。これでいくら部屋に閉じこもっていても、何十時間でも楽しめる。YouTubeチャネルの登録数がうなぎ上りになってしまうが、まあしょうがない。

4.スポーツ

 これは勤務地によると思うけれども、僕のいるところには、小さなジム部屋があるので、そこで運動をする。平日もできるけれど、中々安定して時間が取れないから、休日になることが多い。いま個人的に熱いのは卓球。カメルーン人の同僚になかなか勝てないのだけれど、彼曰く、我がオフィスNo2のコンゴ人はさらに強いという。

 あとは居住区の中の歩道を、ぐるぐる走る。

5.寝る

 実はこれが一番大事だと思う。平日は、環境的にも仕事の量・内容的にもそれなりに大変なので、休日は何もせず、何も考えず、グータラと寝る時間を確保するのがいいのかもしれない。実際、上に書いたようなことをやっていても、ふと眠くなることがあって、そういう時は、身体からのシグナルだと思って、寝ることにしている。

(ちなみに平日でも、体力を温存できるときにはしておくべきだと考えているので、昼休みはさっさと食事を済ませて自室で昼寝をするようにしている)

 

別の記事にも書いた通り、国連の現場で仕事を続けるうえで、日々の仕事の緊急度の高さとは逆に、キャリアとしては、燃え尽きずに、生き残るためのキャパを確保することがすごく大事。なので、休日は、若干の罪悪感が残るくらいグータラしたほうがいいと考えている。そういう意味では、自由に外出出来てしまう大都市よりも、出たくても出られない僻地のほうが、グータラすることに対する罪悪感は小さい、のかもしれない。

国連の現場におけるメンタルの保ち方(3)

前回までで、(1)そもそも仕事量が多いし無茶ぶりが多いのはみんなわかってるんだから完璧を目指す必要ない、(2)みんな自分のそれなりのベストを尽くして、悪気があるわけではなく振ってきているんだから、厳しい要求でもしょうがないよね、と考えることで心の余裕を作る、ということを書いた。

 

ここでは、そうした中でも、一定の成果を出していくにはどうしたらいいのか、というのを書いてきたいと思う。まだ今の仕事で成果を出したとは言えないから、本当に正しいかはわからないけれど、そんなに外してもいないと思う。

 

完璧を目指さない、というのと近いけれど、
・時が解決する
ということを大前提に動く。

 

これはどういうことかというと、
(1)時宜が来るのを待つ
(2)その時が来るまで負けないようにする
(3)常に余裕キャパを残す
ということを意味する。

 

(1)時宜が来るのを待つ
まず国連に採用された時点で、間違いなく優秀。そして国連の現場では取り組まないといけないことが山のようにある。だから、焦って成果を出そうとしなくても、極論すれば、その場にいるだけで、そのうち、力をフルで発揮して、とてもナイスな成果を出せるタイミングは来る。(時には、やはりどうしても、期限を守らないといけない、どうしようもない仕事が来るときもある)

 

(2)その時が来るまで負けないようにする
ここぞ、というのがいつになるかは誰にもわからない。少なくともいえることは、体力的に、メンタル的に、充実していなければ、力をフルで本当に発揮したいとか、発揮しなければいけないときに、それができない。そして、その場に居続けることができなくなって撤退すると、戻るのは、やはりそれなりに大変。職場は受け入れてくれると思うけれど、どうしても一定期間現場を離れることになるし、そこからのキャッチアップは想像するだけれも嫌になっちゃうかもしれない。だから、急いで勝つのではなく、まずは、如何にしてその場にとどまるのか、を考えることが大事。

 

(3)常に余裕キャパを残す
いつになるかはわからないその機会まで、また長く仕事を続けるためにも、仮に仕事のアウトプットのクオリティと時間軸に一定の不満があろうが、常に、自身の中で、体力的にもメンタル的にも余裕を残す。これは、仕事をせずに組織にしがみつけ、ということを意味しているわけではなくて、その余裕を残した状態を保つということを第一優先にしたうえで、どれだけ、アウトプットのクオリティを上げて、時間軸を短くするか、を考えるということ。前述の通り完璧を期すのは難しいので、数多くの成功体験をベースにしてきた方には受け入れがたいかもしれないけれど、余裕キャパを残しながら、できる範囲内で成果を上げるというのは、それはそれで知的好奇心がそそられることでもあると個人的には思っている。

 

ちなみに、一つの組織に残り続けることとか、その中で上に上がることが全てだとは全く思わない(僕自身、今まで6回転職している)。けれども、仕事を嫌になってやめる、というのも含めて、やめざるを得ないという状況でやめるというのと、残ってもいい/残ってほしいと思われている、という状態で、他の選択肢も探せる状態にある、というのとは雲泥の差がある。

 

同じ組織に居続けるにせよ所属を変える、もしくは起業をするにせよ、キャリアは長期戦なので、まずは体力的・メンタル的に、負けない戦をするということが基本。その組織・ポジションにいたことをその次につなげるのであれば、やはり最低でも1年、基本的には3年、できれば5年くらいはその場に、何はともあれ居続けたほうがいい(もちろん、本当にどうしようもない職場とか、どうしてもやりたいことがあるなら、すぐ抜けていいと思う)。

 

3年というスパンを経れば、そのキャリアを積んだと言えるし、他の人が、その組織・ポジションにいた人に対して期待することもできるようになっているだろうし、前述のように、とてもナイスな成果を出す時宜も必ずやってくる。むしろ、落ち着てい周りが見えるようになる。だから、特にタフな現場であればあるほど、時が来ることを待つ、その間、倒れないようにどうしたらいいか、を優先して、仕事をこなすといいのではないかと思う。

 

そしていずれにせよ、そうしてある程度の余裕を残したキャパシティで継続的にこなせる仕事の量・質、こそがその人の実力でもあるのだから、それを伸ばすことは常に努力しつつも、その実力でもって評価されて、結果、組織としての期待値を満たしてないとみなされて外に出されても、それはそれで、仕方がないか、というあきらめも、必要だと思う。でも、僕の過去20年間の社会人経験を振り返れば、そうしたある程度余裕を残したキャパシティであっても、その中で、ベストを尽くして、丁寧に仕事をこなしていけば、必ず評価をしてくれる人はいるし、外に出ても何かしらやっていけると思う。

国連の人道支援現場におけるメンタルの保ち方(2)

前回は、仕事量の多さと、その中で完璧を求めるのはナンセンスとさえ言えるということを頭に入れておくといいと思う、ということを書いた。

とはいえ、日々、上下左右から要請・指示・依頼が飛んでくるくるのは、それ自体、メンタル的に厳しいものがある。それらはこなさないといけないことなのに、自分が十分にこなせていないということを十二分にわかっていると、かなりつらい。その仕事がこなせないのは、自分のチームメンバーによるところが大きいこともあるし、そうすると、その仕事がこなせないチームメンバーや部下に対するストレスと同時に、自分の管理能力の低さを思い知ってダブルでメンタルに来ることもある。

その中で、自身のメンタルをどうやってまともに保つか、について、僕が一貫して取っている意思決定がある。

Proactive Unconditional Trust(無条件の前のめりでの信頼、略してPUT)

これは、今の仕事のかなり前から、多国籍・リモートのチームで働くときに必要なこととして自分の中で決めごととしている。誰かに対する信頼を、アウトプットがどんなものであろうとも、無条件に、誰しもが、与えられた環境で、ベストを尽くしていると、信頼することにする、という意思決定。

例えばある人が、自分に対して、かなり時間的・量的に厳しい要求をしてきたとする。その人の平時の仕事ぶりとかアウトプットを見たら結構無責任だし、時間軸的に、なんでいまさらそんなことをこの短期間で完成させないといけないんだ、という類のことだったりする(というか、そういうことはかなり多くある)。

ここで、相手に対いていちいち腹を立てていたりしていたら、いくら時間と心の余裕があっても足りないし、そんなことをしていても、何の足しにもならない。

これをPUTの視点でとらえると、相手が実際にそうであるかどうかは別として、「きっとこの依頼を僕に今お願いせざるを得なかったのは、他にたくさんの仕事があるとか、急に、上司とか他の組織からそれを依頼されて、僕に今振ってくるしかなかったのだろう。彼としては、ベストを尽くした結果として、今僕に、この依頼をしてきたのだろう」と考えるように自分の中で決める(「決める」というのがすごく大事)。少なくとも、相手がベストを尽くしてきて、その結果が、今の状況であれば、まあ、しょうがないか、と少しは思える。少なくとも、その人なりにベストを尽くしているという人を、あんまり責める気にはなれないし、そうすると不思議なことに、その人や状況に対するストレスが1ミリくらいは減る。

逆に言うとこれは、そのような環境において、本当はもっと先読みができたかもしれないけれど、このギリギリのタイミングでしか依頼ができない、要は予見能力とか、仕事をうまく割り振る能力が、今の彼/彼女には備わっていないのだ、ということも同時に意味する。要は「まあ、彼の能力はこんなものなのだから、しょうがないよね」と考える、ということでもある。

そして、普通に考えると、わざわざ、僕をいじめようとして厳しい要求をしてきたわけではない(普通の人は、そこまで暇ではない)。

これらを合わせると、「与えられた環境下で、相手の人は相手の人なりに能力を出し切った結果として飛んできたのがこの依頼である。悪気があるわけでもないし、(前述したとおり)半ばダメもとで振ってきたということもあるだろう。まあしょうがないよね」と考える。これを、上司/部下、内部/外部問わずに適用していくと、少し、余裕をもって受け止めることができる。(少なくとも僕は、こう考えることで、心の余裕が生まれる)

これは逆もしかりで、自分が誰かに何かを依頼・要請・指示をした時にも、同じように考えたほうがいい。ろくでもない結果が出てきたとしても、その人なりに現時点で与えられた環境で、その人なりのベストの結果がこれである、だからそれを前提にしてどうにかするしかないよね、と考えるようにする。

そのうえで、以前書いた通り、完璧を目指す必要はないのだから、他の人にも完璧を強いるべきではない、と考えて、できることを、可能な範囲内で誠実に対応していく。こういうスタンスをとると、上下左右からの&上下左右への依頼に対しても、一定の心の余裕を自分の中で確保できると思う。

ということで、個々の依頼とか仕事に対して、こういう形である程度の心の余裕を確保できたとしても、やはり全体で、仕事の量が多いのでパンクしそうになる。完璧を目指す必要はないとはいえ、一定の成果は出さないといけないし、時には、どうしても守らないといけない期限もある。そういう時を含めて、どういう風に考えると、最低限のアウトプットを出し続けられるか、というのを、次に書いていきたいと思う。

国連の人道支援現場におけるメンタルの保ち方(1)

国連の現場、と一言にいっても、組織の種類も、場所も、仕事内容も大きく異なる。だから、ここで書いてあることが、そのすべてで当てはまるなんてことは、たぶんあり得ない。そもそも、メンタルなんてきわめて個人的なものだから、同じ現場の同じ仕事でも、同じ方法が適用可能かどうかなんて、わからない。

 

とはいえ、選択肢の一つとして提示することはできると思うし、そういう意味では、国連の現場に限らず、ここで書く方法が適用できるケースはあるかもしれない。あくまで、こういう考え方もある、ということを知っておいて損はないというくらいの感じで、読んでいただければと思う。(なおここでは、一定期間、同じ事務所・同じポジションで働くことを前提にしていて、自然災害や紛争で、緊急的に派遣されて、そこで極めて短期間で初期的な対応をする、というようなケースは対象外として考えていただきたい)

 

(1)完璧を目指さない
国連の現場、特に人道支援の現場だと、一人当たりにかかる仕事量は多く、与えられた時間は少ない。それは支援対象者の人生や生死にかかわる仕事をしていたり、緊急性が高い仕事が多かったりという、仕事の性質が原因の一部ではあると思う。でも同時に、やるべきことに対して十分な資金調達ができていないので、それだけの仕事をこなすだけの人材、資機材を確保できていない、ということも大きい。
各国の人道支援活動でどれだけのお金が必要で、それに対していくらのお金が集まっているかというのを知るには、OCHA(国際連合人道問題調整事務所)という機関が運営している、以下のウェブサイトが参考になる。
https://fts.unocha.org/
たとえばチャドの2021年実績で言うと、必要額が617.5百万ドルに対して、調達額が134.8百万ドル。必要な金額の21.8%しか集まっていないということになる。
https://fts.unocha.org/appeals/1028/summary(2021年11月1日アクセス)
この中には、人道支援のために配る食料とか住居とか生活必需品とかも含まれるし、国際機関やNGOの人件費も含まれてくる。実は、ここに掲載されている必要額・調達額には含まれない、必要額・調達額というのもあるのだけれど、とりあえず、恒常的に、ニーズに対してお金が追い付いていないというのが実態としてある。(そもそも、それだけのニーズを人道支援として対応すべきなのか、というのは別の話としてあるけれど、ここでは置いておく)
ということで、人が足りないけれど、やるべきことは多いので、結果的に、一人当たりにかかる負荷は大きくなる。これは自分だけではなくて、人道支援機関全体でそういうことが起こるから、当然、みんなして仕事が回らない。そして、人道支援はそのほぼすべての活動で、自分や自分の組織だけではできないので、他の人や組織と協力をしていく。協力、というと聞こえがいいけれど、要は、お互いに依頼・要請・指示が多い。
全体として仕事が多くて、依頼ごとが非常に多くて、人が少ないので、ある特定の一人(例えば僕)の立場で見ると、非常に多くの依頼が上下左右から振ってくるし、僕も、非常に多くの依頼を上下左右に振ることになる。なので、以前にも書いた通り、調整ごとが多くなる。
そんな中で、依頼されたことに100%応えようとするまじめな気持ちでいると、かなり厳しいことになる。もしかするとここで数年過ごすと、そういうことができるようになるのかもしれないけれど、今の僕の能力ではとてもそうはできない。そして何よりも、最初はわからなかったけれど、よくよく見てみると、周りもそう。全然できてない。そりゃ、必要な資金の1/5しか受け取ってなくて、やるべきことがそもそも全部できてたら逆におかしいわけで、冷静に考えれば、できなくて当たり前。
でも、特に最初に入ったころは、周りからの目もあるし、どのあたりが落としどころかもわからないから、完璧を目指そうとする。そして、構造的にそんなことは無理だし、能力的にも無理だから、完璧なんてうまくいかない。そして、勝手にへこんでいく。そうすると余計、能力は出せない。でも頑張ろうとするから、労働時間は長くなり、睡眠時間は短くなり、生産性は落ち、さらに能力が出せなくなる、という悪循環に陥る。
時間の経過によって、仕事には慣れてくるから生産性は向上するけれど、悪循環による生産性の低下もあるので、結果的に、いつまでたっても、パフォーマンスが上がらないように感じられる。そんな中でも、周りはお構いなしに(というかかまう余裕が周りにもないから)ガンガン要求をしてくる。これは結構つらい。
ということで大変なのだけれども、ここを乗り切るメンタルの持ち方として大事なことは3つ。(1)誰も、完璧を求めてないし、できるとも思ってない、(2)とりあえずダメもとでも振ってくる、(3)そもそも完璧なんて目指さなくていい、ということ。

(1)誰も、完璧を求めてないし、できるとも思ってない
この現場にいる人間からすれば、要求に100%応えられるわけなんて無いということは、新人、シニア問わず、誰でもわかってる。そりゃ、そういうことができたら素晴らしいけれど、そんなことができるとは思ってない。むしろ、誰かが完璧にやったら、自分が完璧にやってないことがバレるから、有難迷惑だ、と思われてもおかしくない。

(2)みんな、とりあえずダメもとで振ってくる
みんな、最小の労力で成果を最大化したいと思っているので、ダメ元だろうが何だろうが、依頼をしてくる。上述の通り、完璧にこたえられるということは無いということは共通認識としてあるし、決して自分が完璧にはできないのだけれど、でも他の人にはガンガン依頼を振ってくる。なぜなら、みんながみんなお互いに、仕事を依頼し振りまくっているから、自分が遠慮したら、自分の仕事が後回しにされてしまう、と思うから。だから受け手としては、それをまじめに受け取ってはいけない。ダメもとで振ってきているから、ダメだとしても、気にしないことが大事だし、そういうものだと思ったほうがいい。

(3)そもそも完璧なんて目指さなくていい
誰も完璧を求めてないし、ダメもとで振ってくるという環境なので、そもそも完璧に対応するなんてことを目指さなくていい。できなくて当然、という環境であるということを、特に日本人、特に新しく国連に入ってくる人は、思っていたほうがいいと思う。
国連に入るくらいの人は優秀な人が多いし、これまで、学生時代、社会人時代を通じて、周りの要求にこたえて、成果を出してきた人だから、当然に、ここでも、周りの要求にこたえるのは当たり前、それにさらに付加価値を付けてのし上がっていく!みたいなことを思っているのが当然だと思う。(僕は、「のし上がっていく」という欲望みたいなものは正直皆無なのだけれど、言われたことくらいはこなせるだろうとは思ってた)。
心意気としては十分アリだし、完璧ができればそれに越したことは無いけれど、だからと言って、完璧にできない、さらには、「本当ならこれくらいできないといけないのに」という自分自身のラインをクリアできなくても、まったくもって、気にしなくていい。だって、誰もそんなことを期待してないから。

ということで、国連の現場だと、そもそも仕事量に対して必要量をはるかに下回るリソースしかない中で、やるべきことはとても多く、誰しもが余裕がなく、誰しもが双方に仕事を依頼し振りまくるので、その中で完璧を目指すとメンタル的にはかなり厳しくなるし、そもそもナンセンス・無駄である、と言ってもいいと思う。

なのでまずは、そんなに仕事ができなくても気にしなくていいし、周りも気にしない、と思っていたほうがいい(本当にやばかったら、上司が言ってくるけれど、そうしたら、どうしたらいいのか教えてほしい、と聞いてみたらいい)。

ということで完璧にする必要はないのだけれど、完璧じゃないということは常に何かが欠けているし、その欠けている部分をいろんな人が突いてきたり、改善・修正を要求してくることもある。逆に、自分が誰かに依頼をして、ろくでもないアウトプットが出てくることも多い。そういう時にどういう風にメンタルを保つか、また、完璧じゃないとはいえ、それなりの成果を出していくにはどう考えていくのがいいのか、というのを次回以降の記事で書いてみたい。