自身の限界性能を引き出す場所としての国連機関
今、僕が働いている組織のオフィスでは、残業手当や夜間・休日手当というものは存在しない。他の機関や他の事務所ではどうなのかわからないけれれど、これはある程度、国際機関一般に言えることなのではないかと思う。
もちろん、就業時間は定められていて、チャドの場合はどの機関も、月~木は9時間(1時間の休憩込み)、金は午前中(正確には午後1時)までと定められている。金曜日の午後は、イスラム教の長めの礼拝があるからだと思う。
したがって、就業時間以外で働けば、それは残業となるわけだけれども、特段、そういう概念もなく、やるべきこと/やりたいことがあれば働くし、そうでなければ、就業時間が終われば帰る。
当たり前のように見えるけれども、実はこれは、今の日本の働き方改革とは異なる。国際機関は、部署や状況にもよるけれど、基本的には、仕事は探せばいくらでも出てくる。特に、僕がいるような地方の現場だと、緊急で動かないといけないことが多いことに加えて、多くの組織(国連機関のみならず現地政府、NGO、民間企業)と連携して動くから、その調整に多くの時間がとられる。
緊急性と根回しは基本的には同居できない。同居できないものを同居させているので、無理無駄が出てくる。緊急で動くことに追われながら、定常的に設定されている各種調整ミーティングの準備で日常が過ぎていく。完璧に両方をこなすことはできないよねという、なんとなくの了解もある。結局は、そこそこのレベルで落ち着く。
日常業務だけでも十分にはこなせないので、無理・無駄を省くためのオペレーション改善作業とか、協働する組織との通常業務を離れた長期的な視点でのプランニングとか認識合わせは後回しになる。
そこで、前述の、やるべきこと/やりたいことがあれば働くというのが効いてくる。上述のような、短期的には不要だけれど長期的には大事なこと、というのは、通常の業務時間ではできないし、できなくても、そんなに困らない(=評価にもそれほど響かない)。慣れてくれば、「そこそこ」のレベル感も分かってくる。
と同時に、短期的には不要だけれども長期的には大事なことにもたっぷりと時間を割きたいという人は、いくらでも働くことができる。現場にいると、何か新しいことをやろうとすると合意形成すべき関係者は多いから手間暇はかかるけれど、基本的に、前向きな取り組みで、オペレーションが改善できるのであれば、やってくれるなら、任せるからどうぞ、というような雰囲気がある。仕事をしたい人を止めるような風潮はない。
この、働きたい人はいくらでも働ける、というのは実は結構貴重ではないか。少なくとも今の日本の(特に大企業だと)だと、「ガンガン働きたいから、山のように仕事振ってください。」とか「●●をやりたいのでやらせてください。徹夜でも何でもしますから」みたいなのはかなり敬遠されると思う。他方で、どこの世界でも、マネジメントレベルや急成長しているプロフェッショナルには、こんな感じで動いてる人が多いと感じる。ガンガン動いて、どんどん成果を出して、さらに先を目指す。
さらに、僕のいるオフィスも含めて、国連のいくつかの組織は、本当に僻地にあって、家族の帯同ができないことや、オフィス&住居から外に出れないということもある。そうすると、やろうと思えば、24時間365日、他のことを考えずに、仕事に心血を注げる。
それが一生続くのはさすがにどうかと思うし、組織としても、そういうタフな環境の勤務は、一定期間以上は継続できない仕組みになってる。とはいえ、タフな環境で、自分の実力をフル活用したうえで、さらにストレッチして限界まで性能を引き出して成果を出してみたい、働きたいだけ働ける環境に身を置きたい、というような人には、組織・職種問わず、国連機関の特に僻地の現場オフィスというのは良い場だろうと思う。