チャドで働く国連機関契約職員の日記

チャドの田舎で国連機関の期間契約職員として働くことになった日本人の日記です。ブログでの記述は個人の見解であって、所属組織を代表するものではありません

アトリエ ~ 当日編(3)

(今回、アトリエ(英語・日本語でいうところのワークショップを開催することになった。その経緯や準備の模様は、こちらを参照)

shigeomisato.hatenablog.com

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アトリエ当日を迎える。

過去の経験上、初めてすることは大抵ものすごく不安になる。会議の主催ということであれば、参加者が増えれば増えるほど、事前の経験とかけ離れればかけ離れるほど、大きくなる。だからこそ、できる限りの準備をするのだけれども、それでも不安はぬぐえない。不思議なもので、感覚的に、これくらいの不安感でその瞬間を迎えると、意外と大丈夫だったりする。逆に、初めてすることでも、なんとなく見通しが立って、まあ大丈夫かなと思えると、本番でうまくいかず失敗する。

今回は、日曜日の準備が終わった段階で、あとは当日、いろんな人から出てくる愚痴をとりあえずまとめればどうにかなるだろう、という不気味な安心感があった。この安心感はやばい。もっと不安になって、もっと準備しないと、と思うのに、どうにも不安になれない、というよくわからない状況だった。果たして、どうだったのか。

プログラムでは最初の30分間、8時~8時30分を受付時間&カフェとしていた。8時半開始と普通にすればいいのだけれども、そうすると8時半には誰も来ない。8時開始として、9時に来るという想定でプログラムを作ってもよかったのだけれど、どうせだったら、早く来た人には何かしらのメリットを、ということで、最初にカフェの時間をとることにした。どうなったか。

結果としては、まったく機能せず。まず8時には、主催者である我々以外誰もいない。カフェを委託していたケータリング会社すら来ていない。失敗した。ケータリング会社も時間通りにはどうせ来ない、ということを見逃していた。結局8時半までほとんど人は集まらず、カフェも始まらず、8時半を迎える。

8時半は開会のあいさつの時間なのだけれど、開会のあいさつを述べるはずの県知事は来ない。これはまあ、想定通り。想定外だったのは、8時半過ぎに、他県の知事が到着してしまったこと。他県からは遠いので、県知事ではなく代わりの人に来てもらえれば十分だったのに。今回のアトリエが重要であると考えて足を運んでいただいたのは光栄だが、こちらの対応的には大変困ることになった。他のほとんどの参加者がきてない中で、県知事が、ちょこんと、前のほうに一人で座り続けることになってしまった。これが日本語、英語だったら、主催者である僕が横に座って、なんとなく雑談をして時間をつなぐこともできたかもしれないけれど、フランス語でそんな芸当はできない。とりあえず水でも飲んでもらおうと、チームの同僚に、取り急ぎ、水のペットボトルだけでもいいから持ってきてもらうように伝える。

その後、参加者が徐々に集まり始める。プレゼンターも集まってきて、よろしくお願いしますと挨拶をしていたが、なんと、予定していた一つの団体から、今日はプレゼンの準備が間に合わなかったからプレゼンはできない、と通告される。結構重要なパートのプレゼンなので、用意できなかったからやらない、では大変困る。大変困るけれど、無いものは無い。結局、順番を後ろにずらすのと、プレゼンはしないけれど、口頭で説明する、ということで決着がついた。

9時半くらいになって、ようやく、当地の県知事が到着し、他の来賓を含めて、会が始められる状態になった。後で聞いたのだけれど、こういう時には、県知事には事務所の応接間に来てもらって休んでもらうのがいいとのこと。そりゃそうだ、そうだけれど、その時はもう頭がいっぱいで全く気が回らなかった。

それでは、県知事より開会のあいさつをお願いします、と振って、開会のあいさつが1時間半ほど遅れて始まる。内容は、僕が書いた通りのままだから、なんということは無い。ここで今日初めて、少し気持ちが落ち着く。しかしながら、開始が1時間半遅れているので、これをどう調整したものかを考え続ける。

開会のあいさつが終わったところで、プログラムにしたがって始めます、ということと、プログラムに一部変更があります、という紹介をしたけれど、会議室にいる参加者一同、けげんな顔をして反応がない。何?何かミスったのか?と不安になる。

そこで、はたと気づく。来賓は、挨拶だけして出ていくことが多い(出ていかないこともある)。だから、来賓の挨拶の後、それでは知事はこのあと退場なさいます、という感じのセリフがあったのだけれど、今回のこの県知事は、残るのか?退場するのか?確認していなかった。確認をしてもないのに「退場なさいます」と言ってしまっては変だし、どうしたものか。この日は朝からうまくいっていなかったので、この辺りでは不安から、軽くパニックになった。

永遠に感じられるほど長い10秒、とまではいわないけれど、耐えきれない無言がしばらく続いたところで、同僚が、「まず初めに、参加者の自己紹介から始めてもらいましょう。まずはこちらから」という感じで仕切り始めた。この同僚は、今回のアトリエにもともと出席することになっていて、事前に、何かあったら躊躇なく割り込んできてね、とお願いしていた。

オンラインの会議でも、対面でのアトリエでも、この儀式があるんだった。参加者が一人一人、自分の名前と所属をただひたすら述べていく。この儀式を終えてから、議事次第に入っていく。ということで、この日も、まずは会議室にいる参加者、そのあと、オンラインの参加者、合計30人以上が、次々と名前と所属を述べていく。

会議参加者の全員の紹介の後、先ほどの同僚が、会場に聞こえる形で県知事に対して「今日、参集している参加者は以上の通りです。県知事、この後のご予定はいかがでしょうか?」と問いかけ、残るのか、退出するのかを確認する。なるほど、うまい。

結局県知事は、その時点で退出ということになり、この後は県知事無しで、予定していたプログラムが始まる。前半は、人道支援関係のデータを作る側のプレゼンテーションとそれに対する質疑応答。後半は、それを使う側から見た問題点と、その問題解決のためのディスカッション。

少しだけほっとしながら、プレゼンテーションを見守っていたところ、そのアトリエに出席していた我が組織の事務所の所長から、ちょっと来いということで外に呼び出される。

「プレゼンが終わったら、ファシリテーター(←僕のこと)は、プレゼンの内容を簡単にサマリーして、適切なコメントをつけてから、質疑応答に振るんだぞ。プレゼンの最終でも、適宜コメントしろ」とクギを刺される。そういうことをしているファシリテーターなんてこちらに来てから見たことないぞと思いつつ、まあ確かに正しくはその通りだが。。。

この時点で、当初会議のMC兼ファシリテーターという役目だった僕は、その役目を奪われた惨めなアジア人と化していて、この後どうしようか、と大いに凹み、軽く焦ってもいた。とはいえ、焦ってもしょうがない。深呼吸をして、マインドフルネスで言うところの「今に集中する」ということをして、これまでのボロボロな進行はサンクコストとして、この後、できることをして会議に貢献するしかない、と開き直る。

微妙にプレッシャーをかけられたので、プレゼンを見つつも、プレゼンターが要所要所で止まって「質問は?」と問いかけて会場から反応がないときに「ここの趣旨は●●だから、今日のアトリエにおいて重要なポイントです。きちんと確認しておいたほうがいいですが、質問、大丈夫ですか?」と会場に振ったりするなど、どうにか形にする。

プレゼン後の質疑応答では、会場の参加者の発言を、オンラインにいるメンバーにも共有しないといけない。最初は、プレゼンター席の横に発言者席を設けて、そこに来てもらって発言してもらおうとした。しかしながら次々と手が上がるし、指名する前に発言も始まるので、まったく機能しない。ということで、僕が持ち込んだ私用のレッツノート(B5サイズ)を発言者の前に僕が運んで、そこに向かって発言してもらう、ということにした。なので、僕はこの日、レッツノートを回ってひたすら会議室の中をウロウロすることになる。

後半の、問題点を共有するというセッションでは、それまでのプレゼンですでに大量に出ていた問題点という名の愚痴を同僚がまとめてくれていたので、それを会場のスクリーンに映し出して、これに追加することがある人、という形で、全員に問題点を吐き出させる。この中には、根本的な問題点もあれば、その根本原因の結果として現れる現象もあれば、今日のテーマとは直接関係ないものもあるけれども、それを構造化するだけの時間も、余裕もないので、とりあえずリストアップしておく。そのあとで、解決策となるような次のステップを、これまた思い付きベースで吐き出させて、本日のアトリエは終了。

アトリエ終了後、事務所の所長室に戻って、2週間前の木曜日に依頼されたアトリエが、一応完了したことを報告。アトリエに期待していたことは達成できたと思いますか?と尋ねると、「関係者間で問題点が共有されることが大事だから、達成できたと思う」との言葉をもらう。MC兼ファシリテーターとしては相当イマイチだったと思うけれど、とりあえず、達成できたと思うという言葉を出させるくらいにはできた、ということで前向きにとらえることにする。

なお所長からは、「アトリエを主宰することになったら、諸々のアレンジはしつつも、別に、自分でMCやファシリテーターをする必要はないし、書記も他に振ればいい。全部を自分でする必要はない」との指導。まあ確かにその通りだし、フランス語の理解&発言が自分よりはるかにうまい同僚にMC&ファシリテーターを頼むのが多分正しいのだろうと思う。とはいえ、そういわれるとそれはそれで悔しい。

今日も結局はただ単に出てきた発言のリストアップに終わったのだけれど、本来は、出てきた発言をいい感じにまとめて、その場で構造化して、真の因果関係を見出す、ということをすべき。だから今後も、組織に致命的なダメージは出ないようにバックアップは用意しつつも、被弾覚悟で前に出て、自身でリードをとることを試み続けると思う。そうでないと、せっかくの機会を成長に活かせられない。

ということで、アトリエの話は、これでおしまい。

 

と言いたいところだが、後日談を一つ。

火曜日。

このアトリエのせいで一週間たまりにたまった仕事をこなしつつ、さらに、水曜日から出張&休暇ということもあって多忙を極めていた。

オンラインで参加してほしい、と心の中で祈りながら現地入りした政府統計機関の担当者は、その後、我が組織のゲストハウスに2泊して、水曜日に首都に戻ることとなった。水曜日のフライトの搭乗者名簿が火曜日の夕方に送られてきたのだが、また、来る時と同じように、搭乗者名簿に名前がない。

搭乗者名簿は15時くらいに送られてくるのだけれど、日中に多忙を極めていたせいで、その担当者の名前が搭乗者名簿にないことに気づいたのは、火曜日の18時半過ぎ。すでに、フライトアレンジの担当者は仕事を終えていたけれど、これを逃すと次は金曜日までフライトがないということで、関係各所に電話をしまくる。フライトは明日の朝8時だから、日が明けてから調整する時間はない。結局、フライトを運営している機関の責任者に電話で連絡をしつつメールを送っておいたので、あとは明日、空港でどうにか交渉をしよう、ということになった。

 

水曜日

朝8時に空港に向かう。僕の名前は搭乗者名簿にあったので、普通にチェックインが完了する。問題は政府機関職員。その場で、我が組織の同僚が、フライト運営組織の担当者とチェックインカウンター的な木の机を挟んで交渉を重ねる。40分ほど交渉を重ねた結果、搭乗は不可という結論に。

非常に申し訳ないと思いつつ、僕は僕で飛ばないといけない用事があったので、アトリエに招待した僕がフライトに乗り、招待された政府機関職員は取り残されるという事態に。結局、その職員は、我が組織の手配で翌日、陸路で帰途についた。

今度から、アトリエに人を呼ぶとき&オンラインでもいいという時には、どうにかオンラインでやってもらえますようにとアラーにお願いするのみならず、一言「フライトのアレンジはするけれど、どうしようもない手違いで、フライトに乗れない場合があるし、その場合は、滞在期間が延びます。それでも良ければ、来てください」と伝えることにしよう。